超古代遺跡「ギョベクリテペ」は人類史を書き換える(追記)
2017年に書いてからも ず~っと気になっている
今も発掘が続くギョベクリテペ
現在は 遺跡を上から見下ろせる回廊が設置され 観光地にもなっている
場所は
シャンルウルファの郊外 約15km
なだらかな丘陵地に ひときわ高い丘
直径300m 高さ15mの人口の丘といわれる
トルコ語で「太鼓腹の丘」と呼ばれる
Gobeklitepe(ギョベクリテペ)
〇 発見の経緯
1994年 トルコ南東部の町シャンルウルファの郊外
クルド族の農夫が地面から突き出た石を取り除こうとしたが
それは 埋もれていた巨大石柱の一部だった
表面に見事な浮かし彫りが施されていることに 男性は気付いた
翌年トルコ政府の許可を得て ドイツ考古学チームを中心に本格的に発掘調査が始まったが
発掘期間13年目の時点で まだ全体の5%とも言われるほど
巨大な石の建造物は まだまだ多く埋もれている
ドイツ人考古学者クラウス・シュミット博士は
その余生を約20年間ギョベクリテペに捧げ 2014年に亡くなった
現在は ドイツ考古学研究所とシャンルウルファ考古学博物館が共同で発掘調査を続けている
〇 文明発祥時期への疑問
発掘により次々と姿を現すのは
今から12,000年~11,000年前の建造物
1万2千年前と言えば 農耕が始まる以前
新石器時代狩猟採集の時代とされている
そんな頃に これほどの巨大建造物を構築するだけの人手や技術をまとめる組織力があったということなのだろうか?!
これまでの文明の発祥時期は覆されることになる
そもそも 文明発祥の定義は?
狩猟採集していたグループ生活から 農耕することによって定住し
都市へと発展して 文明が成立していくこと
エジプトのピラミッドより約7000年も前に イギリスのストーンヘンジより約6000年も前に存在したギョベクリテペこそ 最古の文明発祥と言えるのでは?
いや違う
最古という言葉を使うことさえ ためらってしまう
超古代文明の発見は きっと今後も続くに違いない
エジプト文明・メソポタミア文明・インダス文明・黄河文明
文明発祥の4大文明といわれたこれまでの常識は
もはや 疑問でしかない
人類史を大きく書き換えざるを得ない考古学の一大事件とも言われているギョベクリテペ
いったい誰が? 何のために?
〇 石の建造物の謎
T 字型の石の支柱が何本も立ち並び
その一部は 高さ2mの石壁に組み込まれていて
その石壁に囲まれて中心には さらに何本かの支柱が建っている
巨大な1枚岩でできたその重さは ひとつ15~20 t
中には 40~60 t のものもあり 高さは3~6m
いったい どうやって!?
石柱を見上げてストレッチする人の図
(意味ないです 無視してください 笑)
直径が9mの楕円形に近いこの巨大建造物は
近年のレーダー画像調査により まだ20以上が
地下に埋まっていることが確認されている
〇 建造物の意図が謎
天文観測施設という説もあったりするけど確証は無く その用途は未だ不明
宗教はまだ存在せず 神官もいないと思われていた時代に
何かの行事に使われた場所なのか? 神殿の類なのか?
不思議なことに 近辺に住居跡は見つからない
ということは
遠方からわざわざやって来る ここは聖地みたいな場所?
メンテナンスを繰り返し2000年間は使われたと思われるこれら建造物は
B.C7000年頃 意図的に 埋められた!
何故!?
〇 彫刻の不思議
石のT字型加工も レイアウトも繊細だけど
表面に彫刻された多様な文様も 不思議
浮かし彫りで多種
イノシシ キツネ ウシ 数種の鳥 ライオン ヘビ etc.
中には この地域には生息しない動物まで
描かれているという
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ギョベクリテペから数百kmしか離れていない所に
ノアの方舟が流れ着いたとされるアララト山がある
最後の氷河期といわれるヴェルム氷期が終わったのが約1万年前
氷河期終わりの気候変動で
大洪水が ほんとうにあったのではないだろうか?
多様な動物を乗せていたというノアの方舟と
ギョベクリテペの彫刻には 何か関係があるのだろうか?
謎が多すぎて つい空想が果てしないww
謎が解かれる日は 来るだろうか
超古代文明の真実
知りたくてワクワクしてしまう
YouTubeでみつけた 4分程の動画
「ギョベクリテペ」について よくまとめられている
ご訪問ありがとうございました
感謝☆